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​牧野圭一のページ

牧野 圭一(まきの けいいち)愛知県出身の漫画家及び漫画文化の研究者である。 博報堂TVコマーシャルプランナーを経て、マキノプロダクションを設立。 イラスト、デザイン、アニメ、漫画など多くの作品を手がけるとともに文藝春秋漫画賞など、これらに関する賞をいくつか受賞している。

漫画家手塚治虫と親交があり、1975年には同氏が展示プロデューサーを務めた沖縄国際海洋博覧会において、副プロデューサーとして参加している。

2006年から2年間京都精華大学マンガ学部の学部長に就任し、2008年4月より同大名誉教授、国際マンガ研究センター長を歴任。 2011年4月からは京都造形芸術大学教授を務めている。

他に、まんが甲子園企画参画の選考委員、さいたま市北沢楽天顕彰会会長、ユーモア発明クラブ会長、日本漫画家協会事業担当理事など。

69歳のユメを全て実現させた やなせたかしさん      

      ――――76歳の後輩が見上げる 94年の見事な生涯 ――――      

                 牧野 圭一

              京都文化ぷろだくしょん

          2013年12月6日(金)19・00p.m.~

手の平に太陽を」はアンパンマンのブレーク(69歳)以前から、作家「やなせたかし」の名を不動のものとしていたのですが、私はやなせ先生にお願いして、船橋市を流れる都市河川【海老川】浄化市民運動のシンボルとしてピッタリの歌詞とイメージを、記念像にするご許可をいただきました。

 たくさんの想い出の中からこの写真を選んだのは、やなせ先生の無二の親友にしてパートナー【いずみ・たく】氏が一緒に写っているからです。お二人はこのコンビによるミュージカルを創るのが夢でした。表題には、全てのユメを実現させた・・・と書きましたが、正確には、この一点だけが未完成であったのだと思います。

船橋市の北端に位置し、海老川の上流域にある【アンデルセン公園】。子ども美術館や制作アトリエ、広大な敷地を持つ公園です。アンデルセンの故郷である、デンマーク・オーデンセ市と姉妹都市契約を結び、地元の大工さんを招き、《本格的な》風車と農家、民家、アンデルセン記念館、そして大きな「アンデルセン像」まで設置しました。

 毎年のように、両国市民が訪問し合って友好を深めています。この公園内のワンパク広場に、やはりやなせ先生の許可をいただいて、アンパンマン第一号銅像を設置してあります。子どもたちの背丈に合う様、90㎝ほどの背丈にしましたので、記念撮影をしたり、しがみ付いたりして、ピカピカに光っているのが制作者の自慢です。

 週末には、芝生広場にたくさんのテントが張られ、アンパンマンは子どもたちのリュックの番人になったりしています。夏休みともなると、芝生広場の先にある浅い噴水池に飛び込んで遊ぶ、小さな子供たちの基地になり、集合場所の目印にもなっています。強い日光に照らされた銅像のアンパンマンで、子どもたちが【ヤケド】をしないように、『牧野君、木を植えて日陰をつくってくれよ』と念押しされました。今は藤が植えられ、やなせ氏のお気遣いも伝えています。

 何故?アンパンマン銅像を設置したかと申しますと、氏がアンデルセンの生涯に深い関心をお持ちであったからです。郷里のオーデンセ市が世界的な作家として認め、貴族の列に加えたのは、アンデルセンの晩年になってから。ご自分の生涯と重ねあわせておられた

のだと、私は会話の中からそれを感じ取っておりました。

 私は大橋市長の意を受けて、ワンパク公園が【アンデルセン公園】と大きく変貌する様に長く立ち会ってきましたので、ただ今は、子ども美術館の名誉館長も引き受けています。船橋64万市民だけでなく、周辺市町村、遠方からもお客様が増えている状況。やなせ先生は、もっと高い評価を受けるべきだと主張し、ご本人にもさまざまな計画をお示ししましたが、『牧野君、そんなことをしたらボクは「アンデルセンフアン」に叱られてしまうよ!』

 ―――つまり、『アンデルセンとやなせたかし展』では、ご本人の許可が頂けず、チラシにあるように【アンパンマンとアンデルセン展】・・・と、語呂合わせのようなタイトルにしました。・・・しかし、この「ア・ン・パ・ン・マ・ン・ア・ン・デ・ル・セ・ン」の

12文字は、前ページのワンパク広場:アンパンマン銅像に、隠し文字として彫り込んであります。私の気持ちとして、やなせ先生に最大の敬意を表しての行動ではありましたが、当の先生は詩人でありますが、同時に《土佐のイゴッソウ!!》『嬉しい』とか『我が意を得たり!』などの表情は一切、お見せになることはありませんでした。

 同郷の「横山隆一」先生にも、共通点がありましたが、楽しいことでも意に添わないことがあっても、大笑いするとか激怒するというような、大きな感情の起伏を見せるのではなく、強烈なジョーク一発!!を、ボディに打ち込んで相手をノックアウトしていました。

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